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[PR] キャッシング情報 BEACHBUM PARADISE@亡命政府 「力を抜け」っていわれても… 忍者ブログ
沖縄本島北部の名護ビーチの海の前にあったゲストハウス&カフェ「ビーチバムパラダイス」のブログ。 スタッフとお客さんたちが一緒になって綴る、アホらしくもハッピーな日々の記録です。 お店はなくなってしまったけど、管理人の個人的雑記でも綴ってみようかななんて思ったリ思わなかったり。。。
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子供の頃、散髪屋だとか医者に体を触られるようなとき、「力を抜いて」なんていわれる度に、力を抜いた状態というのがよくわからずに困ることがあった。
自分では力んでいるつもりなどなく、子供心に「人間座っていようが寝てようが重力やら気圧やらに逆らっているんだから、生きてる限り(眠っているときでさえ)脱力なんてできっこない」なんて反発を感じたものだが、今にして思えば、そういう他人の体に触ることが常態化している職業の人にはわかる「りきみ」というのがあったんだろう。

大人になって、体に触らなくても、言葉とか態度からも他人の「りきみ」をある程度感知できるようになると、どういった外的要因が作用して「かたさ」だとか「こわばり」を生じているのかに興味がわいて、少しづつではあるが「形而上の力を抜く」ということが理解できるようになってきた。
「力を抜きなさい」といわれて力を抜ける人はそういない。元来なんらかの力みがある状態から自覚的に力を抜く事は、痙攣している右手を左手で押さえつけるようなものだ。
健康な人は、地面の上に立っているとき、重力に逆らって足を踏ん張っている、とは感じないだろうが、病気で寝たきりの人なら、ただ起きて座っていることさえ、みえない力に抗うことだと自覚するはずだ。
生きているかぎり完全に「力を抜く」ことはできない。だからせめて眠ることが許されているのだ。重力に逆行するエネルギーを最小限にとどめた状態、外圧への防御を最小限に緩和できる状態、それが睡眠なのかもしれない。

現代人は自分の外側の世界がどんどん拡大し続けている(あるいはそう認識している)から、その外圧に負けじと自己の意識を拡大させているように見える。心が外からの力に押しつぶされないように、いつも内圧をかけてパンパンに膨らませている。
自意識過剰のような意味で「自我の拡大」なんてよくいわれるけど、それは外部への認知が否応なく拡大しているからだ。
拡張しつづける「他」に対抗して内圧を上げつづけることには自ずと限界がある。エネルギーが尽きてぺちゃんこに潰れてしまうか、外側へ向かって大爆発するかのいずれかの道を辿る。星の一生にも似ているし、「動機無き」無差別殺人と「理由無き」自殺をも想起させる。

拡大する世界と融和するには、認識しつつ忘れるというちょっとした技術が必要だ。現代人は大抵重力の存在は知っているが、常時そのことを意識して地面に足を踏ん張っている人はいない。そんなことをしてたら体がもたない。
街を歩いてたら他人がたくさんいる。知らない人達だから、誰が自分を攻撃してこないとも限らないが、目に入る人全員を敵だと思って警戒してはいられない。
ヒトはこれまでも様々な方法で外界を規定することで、未知なるものへの恐怖を軽減してきたわけだが、たとえば排外主義や外国人差別なんかも茫漠とした外界を、有限の枠内に押し込める事で恐れも一定量に抑制しようという典型的防御だし、地動説がなかなか受け入れられなかったのも、それに類するものと思われる。

原発事故以来、一般に日本人の外界認知は拡張したようである。それまでごく身のまわリの現象にしか感心を持たなかった人びとでさえ、国家や政治といったものに漠然と関心を持つ機会が増えたように見える。原発事故が黒船のような効果をもたらしたのだろう。そしてこの新たなる未知への恐怖をどう規定し有限化するか、まだコンセンサスは生まれてきそうにない。
「原子力」という「魔物」をヒステリックに排除しようとする心理が広がりをみせているのも、無理からぬことといえる。はじめてひとりで出歩いた子供が、見知らぬ男に声をかけられたら、それは「悪い人」と認識されるのが、人の防御としては正しい。未知なるものを「正しく怖がる」などという防御はないのである。

だから我々はますます外に対する防御ということを強く意識せざるをえなくなる。世界が広がれば不安要因が増加するのは必定だ。そうした不安を魔法のように取り除くハナレワザをやってのけるなんていうのはいわゆる新興宗教のうたい文句だが、それとてその幻想を保守すればするほど外界との間により強固な壁を築く必要に迫られ、しだいに内外の圧力差が高まった結果、いずれ顕在化する致命的な破局を先送りにしているに過ぎない。ベントを躊躇したあげく水蒸気爆発を招いた原子炉格納容器のごとくである。

この自己と外界を隔てる壁を浸透膜のように柔軟に保つこと、曖昧にしておくことが、認識しつつ忘れる技術、すなわち「力を抜く」ことなのではないだろうか。
重力を感じつつ忘れる。自他のはざまにたゆたう差異の川辺を護岸工事せず、問題を意識下にとどめつつ無為の水面に心を漂わせる。そんなふうに未知なる「外」とつきあっていけないものだろうか。
自己流ストレッチで静かに腹式呼吸をしているときに、そんなことをふと思ったのであった。

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